すみません。続きを楽しみにしてくれている方。長いことさぼっております。
'04.3.29結婚式終わりました。
'03.12.14 更新しました。結婚式の続きです。
'03.11.12更新しました。結婚式です。
| 目 次 | |||||||
| 序 章 | お見合い | 後日談 | こだわり | お見合い2 | 日本人との結婚 | 在日の障害 | 余 談 |
| 衝撃の出会い | デ−ト | プロポーズ | 結婚式 | 新婚旅行 | 新 居 | 結婚生活 | コリアンパワーについて |
| 序 章 |
| 私、黄仁秀の結婚について体験談を少々書きます。 |
| 26才の時に見合い結婚して、現在49才ですので23年になりました。('06.05更新) 学生の時は自分で結婚相手を見つけてくるからと、親の勧める見合いは拒否していました。 しかし、結局学生時代は自分では見つけられませんでした。 |
| 学生時代、自分に民族性がないので、韓国本国からお嫁さんをもらえば、すなわち一世なので、 韓国語も自然に習えて国のことも教えてもらえる。民族性を「輸入」し、自分に取って付けようと考えて いました。漠然と韓国は日本より少し貧しい国なので、韓国の女性も在日僑胞と結婚したがっている のではと思い、それならお見合いしてお互いに気に入った相手ならばギブアンドテイクでそれで結婚 しても良いのではないかと安易に考えていました。 それは今考えれば韓国の女性には失礼千万、自分の顔から火が噴きそうなくらい恥ずかしく、 安直な考えだったのです。 |
| ある時このような私の結婚相手に対する考え方を、在日コリアンの女性達の前で話したところ、 「あなたみたいな考えの在日コリアン男性ばかりだと、私たち在日コリアン女性は誰と結婚すればいいの!?」 と烈火のごとく怒られ、私は女性達につるし上げられてしまいました。 |
| ただでさえ特に日本人との国際結婚が増え、在日コリアン同士の結婚相手が少なくなっているのに、 私みたいに韓国で結婚相手を探す(お見合い)という男性が増えると、それこそ同じ在日コリアン同士で 結婚したいと願っている女性(これは親からの教育の影響がかなり大きく彼女たちもそれに同意)には、 まさしくその対象相手がいなくなり、日本人と恋愛結婚するか、気に入らない相手でも無理して(不幸な) 結婚をしたり、あげくは結婚すらできなくなるかもしれないという、大変な事態になるという事に私は 彼女たちに気付かされたのです。 ただ自分の周りだけかもしれませんが、見渡してみると在日コリアンでも一世に近い人(年齢的に少し 上の男性)は今のような在日コリアンが多くない時代に一世にはそれが当然であったように、実際は韓国 からお嫁さんをもらっている人もかなり多かったと思います。 ただ、彼らと私では時代背景や事情や考え方が少し違いました。 このことは自分にだけ置き換えて考えるようにしました。自分一人が何人もの在日コリアンの女性と 結婚できるわけもなし、「ボランティアで在日コリアンの女性と結婚してあげる」という傲慢な考えでもなく、 私に烈火のごとく怒ってくれた彼女たちのおかげで、自分の結婚相手の対象は同じ在日コリアンから 選ぶべきだという考え方になりました。 |
| それからは結婚相手は在日コリアンを探すことにしました(単純なんです…ほっといて)。 学校がずっと日本の学校だったので、日本人とも恋愛する機会はあったのですが、結婚問題を考えると (考えすぎていた面もあった)、深入り(変な意味でも?)することができず、相手には悪かったのですが、 自分としては不完全燃焼な恋愛ばかり繰り返していたような気がします (言うほどにはそんなに多くはないのですが、かなり見栄も入っています)。 |
| お見合い |
| 学生時代は結局結婚相手を見つけられずに、社会人になりました。ところが、社会へでてみると、 見事に在日コリアンはおろか年頃の女性と接する機会もがほとんどなくなり、途方に暮れてしまいました。 仕方なく25才の春から、あくまでも知り合うきっかけとして親の勧めるお見合いに同意しました。 結局それから1年後に妻との劇的な出会いがあり、その年に結婚しましたが、それは後に詳しく述べます。 |
| 見合いをするなら、一発で決めてやると意気込んで、一回目の見合いは相当な気合いを入れて臨みました。 たしかホテルでお互いの両親と仲人さんとお会いしました。 仕方のないことですが、この多人数ではお見合いということが周りの人にはまるわかりで、こっぱずかしいというか バツがわるいというか居場所がないというか自分が意識しすぎかもしれませんが、何とも言えない気分では ありましたが、サイは投げられたのだから集中していこうと自分を奮い立たせたことをいまでも鮮明に覚えています。 この時のお相手は鉄工所の娘さんで、何回かデ−トをしました。先方の娘さんは、特に悪いところはなく、 気に入らないところもなかったので、私がOKをだせば結婚が成立していたかもしれません。 しかし自分が一生涯この人と共に生きていけるかというところで考えると、実際1ヶ月位は真剣に考え、 悩んだ末に、相手には申し訳なかったのですが、残念ながらお断りしてしまいました。 私が勝手に一人で悩んでいたのかもしれませんが、本当は相手の女性も断りたくて、私が断ったので ホッとしていたのかもしれません。今となってはその真偽は定かではありません。 |
| 後日談(なんともはや…苦笑いの巻き) |
| この女性とは後日談があって、それから1年後、お互いに知らずに違う仲人で再度お見合いしてしまいました。 お相手の釣書や写真を見ていたにもかかわらず、実際にお会いするまで一年前のお見合いのお相手とは 気づかず、あるホテルのロビーで仲人さんに紹介された時に「お互いにどこかで会ったことがある。アッ!一年前に お見合いしたお相手だ」彼女も私もそこで初めて気がつき、お互いの親に「一年前のお見合いのお相手」ということを 告げると、お互いの親もパニクッてしまい、仲人さんもそれを聞いてあわてふためき、その場は騒然となってしまいました。 せっかくここまで来たのだからと、仲人さんのすすめで、とりあえず皆で喫茶店に入ることにしました。 喫茶店では「そうですか一年前にお見合いしましたか。全然気がつきませんでした。」と仲人さんが笑いながら おっしゃってまして、いつものように「変な話だけれども、それでも二人でお話ししてくるか?どうする?」と 言われましたが、やっぱりそれも変な話なので、「いえ結構です」とわたしは断ってしまいました。 そうなると、もうすることがないので、しばらくして喫茶店を後にすることになりました。 なんともはや後味の悪いお見合いでした。 私はこの時喫茶店で、「そうか、苦笑いとはこういうことをいうのか」とこの時の雰囲気に変に感心しておりました。 後日、「同じお相手と二度お見合いをするということは「縁がある・運命だ」ということなので、是非結婚するべきだ。 幸せになれる、神様が引き合わせてくれたんだ。」という意見もあり、少し考えましたがやっぱりお断りしました。 今考えると、お断りしてヨカッタと思っております。なぜなら、あの時お断りしたことで後日の予定外のお見合い (衝撃の出会い)で今の妻(最初で最後)とめぐりあえたのですから。 |
| 私のお相手へのこだわり |
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ここで見合いに際しての私の最小限のこだわりをご紹介します。 @は、一緒にいて疲れない、ストレスがたまらず、気軽に生活できるような人。 |
| お見合い2 |
| 第1回目のお見合いと、私のささやかな条件を書きましたが、その後のお見合いのお話を続けます。 |
| 2回目以降は、色々な方に紹介していただきましたが、やはり専門的に仲人をしておられる方の方が、 何かと段取りもよかったです。中にはビデオで相手を紹介するところもありました。もちろん自分もビデオに 撮影されますが。ココでは結局一度もお見合いはしませんでした。もっぱら大阪は鶴橋の「たんぽぽ結婚相談所」 というところで紹介を受けました。 今は経営者が別の方で私は知りません。創業者は韓国へ帰りました。仲人だからと新しい経営者に挨拶に行くと、 「あんただれ?何しにきた?」と言われてしまい、2度とあいさつにも行くまいと夫婦で決心しました。 人が変わるとこうも違うものか?と妙に感心してしまいました。今はそこにはこの相談所はもうありません。 当然ですよね。 最初は一回行くと一人とのお見合いが、回を重ねると一日に二人、多いときには三人とお見合いしました。 特に印象に残らないと誰が誰かごちゃごちゃになってしまったこともありました。 一日に多くても二人くらいが適当かと思います。 |
| 専門外(即ちタダの知り合い)の方に紹介してもらうと、ろくなことがありませんでした。 本人が来ずに、妹が代わりに来て、姉が嫌がって来ないので、しかたなく自分が来たのだが、別に私も結婚する つもりはないとはっきり言われてしまい、こちらもカチンときて、大喧嘩になってしまいました。しかし、身代わりで 失礼な態度は許せなかったのですが、すぐにお断りするのも、せっかく紹介してくれた方に失礼なのと、今までで 一番可愛く(好みとは少し違ったのですが)、先方も反省してくれていれば、もう一度会ってももいいかなという理由で、 「一度おつきあいしましょうか?」と言ったら、なんと先方から断ってきました。 「なにぬかしてけつかんねん!!」と腹が立つやら恥ずかしいやら「こんなことならこちらからすぐにはっきり断って おけば良かった」と何ともやりきれない、自分のスケベ心を悔やみ、また自分自身がすごく傷ついた気持ちはいま だに忘れられません。「姉が嫌がって来ないのでおばあちゃんの顔を立てるために、しかたなく妹の自分が来て やった」と言われたときにすぐに席を立って「お見合いをバカにするな!」と席を立つべきだったのですが。 このときほど、「あのくそ生意気な小娘め!おまえのような、相手を侮辱した行為は許せるか!おまえなんか 一生結婚できるか!」と相手に対する悔しい思いと、自分の仏心とスケベ心を恥じたことはありませんでした。 それ以降、お断りするときはその日に相手に伝えるようにしました。その方がお互いに良かったと思います。 |
| 日本人との結婚 |
| 在日コリアンが日本人や外国人と結婚する割合はなんと86%にもなるそうです。 ということは、帰化やダブルを含め少なく見積もっても100万人の86%=86万人のうちの適齢期の男女が外国人と、 在日コリアン同士は14万人のうちの適齢期の男女しかいないことになります。適齢期人口は分かりませんが仮に 20%とすると2.8万人の男女が、在日コリアンの結婚相手を求めていると考えられます。男女各14,000名です。 日本人と恋愛結婚をしたのはいいが(一応周囲の反対を押し切って)、離婚する例が多いと聞きます。原因は 大体分かります。女性が在日コリアンで男性が日本人の場合が多く、女性には悲惨です。日本人に帰化し、 日本人として生きて行くのは別にかまわないのですが、やはり今までの生活習慣の違い、考え方の違いから 嫁ぎ先で差別されいじめられ、白い目で見られ、旦那ははじめは理解しているようでも結局はわかってくれない、 理解できない、で奥さんは孤立しノイロ−ゼになって離婚してしまう。 幸せになるために結婚したのに、不幸になり追い出されるように帰ってくる、それも子供ができていれば先方に取られて。 日本人との国際結婚で幸せになっている方の方が多いとは思いますが、上のようなこともよく聞くのも事実です。 日本人とは国際結婚という感覚はありませんが、結婚すれば違いが如実に出てくるようです。 日本人と恋愛結婚をするのは、物理的にも仕方がないことではあります。在日コリアンをわざわざ探して恋愛しよう なんて事は、不可能に近いことですから本当に上のような不幸は防ぐのは難しく、このような不幸な話を耳にするたびに 胸が締め付けられます。 |
| 在日コリアン同士の結婚についての障害について |
| そして、もう一つ在日コリアン同士の結婚には重大な障害があります。 それは残念ながら身内である自分の親やご近所・年寄り・親戚たちの偏見です。 彼らは自分ではその明確な根拠も説明できないのに、昔の記憶や年寄りからの言い伝えだけを頼りに、昔の悪しき 習慣や考え方を信じ込み、それだけを頼りに結婚相手にケチをつけてきます。本国のコリアン達の方がよっぽど 進んだ考え方をしているのも知らずにです。 クワブ(くわべ)が合わない、うちはヤンバンの系統だから…、出身地では慶尚道・全羅道・済州島・北の出身、 民団・総連、親や本人の職業、長男だから、本貫が一緒、…と結婚相手に対して数え上げればきりがないほどの 注文やケチを付けてきます。 これでは周りに相手もいない、たまたま相手がみつかっても際限なくケチを付けられるでは、結婚そのものにケチを 付けられているように本人達は思ってしまいます。この不信感のために結婚すらしない・できない人が増えているの ではないでしょうか? |
| 在日コリアン同士の結婚が全てうまくいくとは思いません。しかし、スタ−ト時点で共通点が多いことは、特に長く 一緒に生活することを考えると、二人で越えるハ−ドルは低くなります。「自分は日本で生まれて育ったのだが実は 日本人ではなくて国籍が…、ザイニチで…」などと告白したり、それに理解を求めようとするような余分なことに神経を 使わないで済むし、育ってきた境遇に共通点が多くあり、生活に中でもお互いに共感・理解し合え、共通の話題が たくさんあり、精神的に穏やかで安心感があり、物理的にも食べ物や法事や生活習慣にも普通に今まで通りに 過ごすことができ、ある意味で本当に楽に幸せな結婚生活が満喫できるのではないでしょうか? 周囲の人はこれから結婚をする人には、本人同士の幸せを第一に考えてあげて欲しいと思います。「自分の時は ずいぶんケチがついたので仕返しをしてやれ・同じ目に遭わせてやれ」などとは考えずに、彼らにはケチは一切 付けないで欲しいとお願いします。 |
| 余 談 |
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コリアンパワ−でお見合いが順調に重なってしまいました。皆さん良い方ばかりで責任がオモ−イ。 何故かチョンガ−(独身男性)が不足してきました。ウラヤマシ−!自分がいこうか!と思いますが…冗談ですよ。 情報がどんどん集まってきます。このままだとちゃんと整理しないとごちゃごちゃになってしまいそ−。 |
| 衝撃の出会い |
| いつものように(何回目かは忘れました−妻には見合いは全部で5〜6回しかしてないと言ってます。ちなみに妻は 私が3回目だとのたまっておりますが…)その日の見合いを終え(その日はなんと3回)、お腹ちゃぷちゃぷ、 頭ごちゃごちゃ、のどはがらがら、特に印象に残る方もなく、疲れはてて帰ろうとすると、仲人のアジメがちょっと 待っていなさいと言う。 きょう気に入った方がいないのなら、条件(年齢)には合わないがいい娘がいるという。彼女は今見合い中だがあと 30分もすれば帰ってくるので、待ってなさいとのこと。実はこの相談所では30分おきに見合いをさせていた。 「エエ−!4回目するの?」とうんざりしながら、「ついでやからまあええか」と待っていました。 それもビルの屋上に通じる踊り場で親子3人で30分ほど待っていました。トホホ…。 |
| あとで妻に聞いてみると、その日妻のお見合いにお相手の男性が30分遅れてきたとのこと。 その男性の名前などの情報を聞いてみると、何と大学時代の一つ上の先輩でした。向こうは私のことを知らないかも しれませんが、私の方は彼を少しながら覚えておりました。 |
| 30分あまり待っていよいよお見合いです。結婚相談所の事務室というのは殺風景です。 そこでお互いに自己紹介を済ませ、2人で外にお茶を飲みに行きました。彼女は近くの「デカメロン」という名前 だったと思いますが(正確にはデウカリオンだそうです)、その喫茶店に行きたいと言いましたので、 そこに入りました。大きなグラスに入ったジュ−スを出すところで、その大きさがとても印象にあります。 お腹ジャブジャブだったということもあったのかもしれません。この喫茶店は今はもうありません。 彼女はすごく気さくな感じでしゃべっていて疲れない、なんとも今までになかった気分でした。 会話もはずみ、その中で共通の知り合いもいることがわかりました。お互いに共通の友人とはかなり親しかったので、 驚いたりうれしいやらで、大いに盛り上がりました。”この娘だったら一生一緒に暮らしていけそう”、”お互いに 高めていけそう”、”楽しい結婚生活が営めそう”、”好きになりそう”、”気が合いそう”、”自分を正直に出せそう”、 ”無理しなくてもよさそう”…。問題は何もありませんでした。 しかし、経歴を聞いてみると民族系の学校を高校まで行って、大学は短大、職業を聞くとキャリアウーマン (そういう職業はありませんが内容を聞くと一般的に言われているキャリアウーマンがちょうど当てはまります のでそう書きます)。上の方で書きましたが、短大とキャリアウーマンには偏見がありましたが、「個人によって 違うんだなあ」と自分の思いこみを反省し、認識を改めました。 |
| 帰ってからも気分が盛り上がり、仲人さんに彼女と是非おつきあいしたいと電話していました。 「それなら自分で直接彼女の家に電話して交際を申し込みなさい」と言われたので、電話番号を聞いてすぐに 彼女の家に電話しました。 彼女のオモニをはじめに呼んでもらい、「結婚を前提として是非お付き合いをさせてください。」とオモニに 申し込むと、快諾していただき、彼女を電話口に出してもらいました。彼女とは次回のデ−トの日時を決めて 受話器を置きました。現在の(後にも先にも)妻との予定外のお見合いによる衝撃の出会いです。 この時にお互いに運命の人と感じていたようでした。 私はこの出会いで、それまではそんなものはないと思っていました「縁」という言葉を初めて認めるようになりました。 |
次回はデ−トのことなどを書きます。ここまで1年かかりました。スミマセン。
| デート |
| 記念すべき第1回目のデートは、大阪の梅田でした。 お昼に会ったので、お昼ご飯は何にしようか?と話していたところ、「学生の時によく行った王将という中華料理屋で ギョーザや定食がボリュームがあっておいしいよ。」と私が話すと、彼女はすかさず、「おもしろそう、行ったことないから 是非行ってみたい」とのこと。 |
| 1回目のデートの初めての食事で本当にいいのかな?と思ったが、彼女とはそこがお互いに見栄を張らずに遠慮なく 何でも話せるところがよかったので、ふたりで大阪梅田の阪急東通りの当時はできて間もない「王将」にいきました。 今もありますよ。 注文は彼女が私にまかせると言ってくれたので、ギョーザ2人前ずつと、ビール大瓶2本(彼女も少しなら飲めると いうので)、それに定食をそれぞれ注文しました。 当然お腹が一杯になり彼女は全部食べきれず、それでもお互いにギョーザのニンニクのにおいと昼からのビールで アルコールがまざったにおいをさせながら、顔も少し赤らめて、二人で大いに満足してお店を後にしました。 今考えるとなんと大胆な、そしてなんとフランクなデートだったんだろうと、20年たった今も昨日のことのように 思い出します。たまにその「王将」の前を通ると今でもその時のことを思い出し、感慨深いものがこみ上げてきます。 |
| それからは毎週のようにデートを重ねました。 映画を見に行ったり、遊園地へ行ったり、京都や神戸にも行きました。 チョンガーの時は映画といえば一人で行っても面白くないので、テレビの再放送か数えるほどしか映画館に通った 覚えがなかったのですが、彼女は洋画が好きで、ふたりでよく行きました。今も二人で映画館に洋画をよく見に行きます。 |
| ただ、ジャンルは少し好みがあって、彼女は恋愛、純愛もの裁判もの、探偵ものなどが好きで、私はアクション系が 好みでした。デートの時は二人とも相手のジャンルのものもつきあいましたが、最近では恋愛ものは彼女は女友達や 姉妹と行くことが多いようです。 私はアクション系は一人で行っても何かしっくりこないし、彼女と共通するジャンルしか行かないので映画の回数は 少し減っています。 |
| 遊園地でのデート、神戸のポートピアランドに行ったときのことでした(2002年閉鎖になるそうで少し寂しいですが)。 ぐるぐる回る飛行機やブランコ、コーヒーカップ、それにジェットコースターに次々と乗っていたら、二人とも気分が悪くなり 本当に目が回ってしまいました。あとでわかったことですが、二人ともジェットコースターなどは苦手でした。 そのときは二人ですることは何でも楽しかったので(今ももちろんそうですが、若気ということも手伝って次々に 苦手な乗り物に乗ってしまったという次第です。 |
| プロポーズ |
| プロポーズは、実際には2回目のデートの夕食の時に「ボクについてきてくれるか?」と自然に申し込むことが できました。一生の内に1回しか言わないことだからと、いろいろとキザな言葉やシチュエーションを考えましたが、 それも人工的で白々しいのもどうかと思い、その時の気持ちでプロポーズしようと思い直しました。ただ、きょう プロポーズしようということは決めておりました。このプロポーズも自然で自分に素直な気持ちからでした。 彼女は「はい」とこれも拍子抜けするほど素直にしかも自然に返事をくれました。 私は天にも昇る気持ちになることが出来ました。でも、断られることは少しも考えておりませんでしたが、 こんなにすぐに即答してくれるとも思いませんでした。 お互いに最初に出会ったときから「この人と結婚する」という予感があったとはいえ、「自然に素直に」という 言葉がぴったりと似合うプロポーズとその応えでした。最初から運命の人とお互いに感じていたからでしょうか。 何か人生最大のイベントもあっけないくらいにスムーズにいきました。 結婚するときと言うのはそういうものかもしれませんね。 また、いくら着飾った言葉よりも、自然に素直に心から出てくる言葉にはしょせんかなわないものかもしれま せんね。この時のことはそういうふうに実感しております。 |
| 結婚式 |
| 親の進めるお見合いを始めてからちょうど1年目の4月に現在の妻と衝撃のお見合い、2回目のデートで プロポーズ。それは5月だったと思います。その後お互いの親に報告後、後日相手の家に行き、 妻のアボジに直接「結婚したら必ず幸せにしますので、娘さんと結婚させて下さい」と結婚の 申し込みをしました。「娘さんをください」と言うのには何か抵抗があったので、「結婚させてください」 と言ったのでした。 そのアボジの返事の内容は詳しくは忘れてしまいましたが、あっけなくOKをもらいました。 婚約宣言 その後、鶴橋の喫茶店で結婚相談所のアジメの前で、婚約を宣言し婚約指輪を交換しました。この 婚約指輪は彼女の実家が宝飾店だったので事前にそこで購入済みでした。相談所のアジメは心から 喜んでいてくれておりました。さて、次は結婚式の日取りの件でした。私は5月に婚約したのだから 6月か7月には結婚式ができて新婚生活が出来ると思っておりました。ところが、日取りがなかなか 決まらず私は少々イライラしておりました。原因は”占い”でした。 それと「女性は結婚の準備に何かと時間がかかる」ということでした。男性は住むところさえ決めれば すぐにでも結婚生活が送れると思っていても、女性には実際にも相当時間がかかるようです。 結婚式の日取り 5月に婚約して結婚式は結局10月と決まりました。何で5ケ月も?私にとっては気の遠くなるような5ケ月に 思えました。でも女性にしてみればこれでもまだ充分な期間ではなかったようです。 とにかくわたしも気を取り直して結婚式の準備に取りかかりました。 準備 といっても男性には特に準備する物はありません。でも、結婚式までは思っていたよりも結構あわただし かったのです。結納に相手の家に行ったり、家具を買いに行ったり、結婚式場に予約と共に打ち合わせを しに行ったり、新婚旅行の予約をしたり、結婚式当日宿泊するホテルと新婚旅行から帰ってきてから 1泊するホテルの予約をしたり…。 新婚旅行は結婚式当日では疲れていたりお酒を飲んでたりするので次の日に出発するために、帰って きてからの1泊は妻の実家に一緒に帰る日が悪いと占いで出たそうなので、市内のホテルに1泊してから 妻の実家に帰ってこいというので、しかたなくまた別のホテルを予約することに。でも色々なホテルに 泊まれて楽しい思いをしました。 結婚式に関しては まず、誰のための結婚式かということをはっきりさせると共に、親の面子も立てなければなりません。 というのも、私達の時代は多くの方が経験したと思いますが、日本に不本意ながら住んで大変な 苦労を重ねてやっと子供を結婚させることが出来る、そのことを隣近所や親戚・友人達にお披露目する、 というどちらかというと子供のための結婚披露宴というよりも、「私は苦労してここまで立派な披露宴が 出来るようになりました」という親の為の披露宴という側面が強く出ていたのでした。 もちろんそんな親の苦労を見ながら育ったので、親の面子も立てて上げようとは思いながらも、 でも一生に一度の自分と妻の結婚式なのだから、自分たちの考えも充分に取り入れた結婚式にしようと、 妻とそれぞれの親と綿密に打ち合わせをしていったのでした。 なにせ結婚式までの時間は十二分にあるのだから。 結婚式に呼ぶ人数 から会場が決まります。それぞれの親が呼ぶ人数と、私達本人が呼ぶ人数の合計です。 やはり圧倒的に親が呼ぶ人数が多く、私の場合には最大限でも50名くらいでした。小学校から中学校時代の 友達(いわゆる幼なじみや近所の友達)、高校時代の友達、ここまでは日本人の友達です。自分が在日 コリアンだと告白して知っている友達を中心に声を掛けましたが、中には結婚式当日に初めて私が在日 コリアンだと知って驚いていた友達も中にはいたようでした。きっと韓国式を取り入れた結婚式にビックリ していたことでしょう。そして何よりも大学時代の同じ在日コリアンの先輩後輩に一番多く声を掛けました。 「声を掛けた」という言い方には訳がありまして、披露宴会場がホテルではないので、正式な出欠の返事が 無くても大体の人数で予約しても大丈夫だったのです。 今でこそ招待状の中に出欠の返事用のハガキが入っていますが、当時は招待状の中にハガキが 入っていないことも結構多かったのです。出欠の返事をくれる人は口頭で、くれない人も相当いて 招待状1通につき一人なのか家族で来るのか予想できない場合も多かったのです。それと当日の天候 によっても披露宴に来てくれる人数に若干の増減があるのでした。ですから式場の方も心得たもので、 予定していた人数よりも多く来た場合にはテーブルを増やし、少なければテーブルを片づける光景を 披露宴会場ではよく目にしたものでした。披露宴会場には中華料理店がよく使われていました。 中国の人はコリアン相手に結構商売上手だなとよく感心したものでした。 同時に何故コリアンが経営する結婚式場がないのだろうかと常々疑問にも思っておりました。 600名 両家からだいたいの人数が報告されました。各300名の合計600名ほどとのこと。 この600名を収容できる披露宴会場を見つけなければなりません。私の住んでいたのは大阪のキタの 方面なので、新北京という中華料理店がよく使われておりましたが、ここは300名が限界ということで (大体は200名から300名くらいが多かったのです)、妻の方のテリトリーのミナミに1000名くらいは 収容できる会場があるという情報が入りました。 「随園」というここも中華料理店でした。「一生に一度の晴れ舞台なのだから、何が何でも一流ホテルで 結婚式や披露宴をしたい!」という強い希望は結婚する二人には特になかったので、披露宴に 来てくれるお客さんが満足してくれるならということで、下見がてらに随園に行ってみました。 打ち合わせ 両家で結婚式の進行と料理などの打ち合わせで、「随園」で食事会をしました。食事はおいしかったです。 会場のチェックもして、これならもし予想しているよりも人数が増えても大丈夫、会場側もテーブルや料理も 対応してくれるとのこと。会場は軽く1,000人は入れるとのことでした。実際にかなりの広さでした。 予想に反してお客さんが少なかったら少し格好良くないなという印象でした。 人前結婚式 どちらの家も無宗教なので、「随園」で人前結婚式をあげました。神前によく似ていたように思います。 式場が用意した「結婚の誓い」なるものを読みました。内容はよくは覚えておりませんが、 二人が幸せな結婚生活を送るようにいくつかの誓いを立てるような内容でした。結婚式には双方の 親戚が出席して、結構厳かに営まれていました。 二人の希望で、結婚式は韓服ですることにしておりました。私達の親の時代には韓服での結婚式はよく あったようでしたが、私達の時代にはなかなか韓服での結婚式にはお目にかかれなかったことと、私の親の 結婚式の写真が韓服だったこと、韓国人である自分たちにしか経験できないことだと思ったので、妻にその 旨を話すと、快諾してくれたのでした。 大阪の鶴橋で貸衣装をしている、安田ブライダルというところで事前に衣装あわせをし、韓国式と洋式の 衣装を私は借りました。妻は韓国式を借り、洋式は自前だったように思います。 結婚式が終わると、双方の親族も一緒に写真を撮りました。その後に二人の写真も撮りました。その頃には 披露宴会場にはすごい数のお客さんがざわざわと今か今かと二人の登場を待ちわびていた様子でした。 結婚式の司会には 在日コリアンの間では結構有名だった司会の方が何名かいらっしゃって、そのうちのお一人の男性の 方に司会をしていただきました。弁舌滑らかで良くこんなに次から次へと言葉が出て来るなあと感心する ほどの方でした。事前に家のほうでの打ち合わせなどもありました。あの司会の方にはお礼はいくら 払ったんだろう?当時から、かなりお稼ぎだという噂はありました。 二人の希望の韓服で 披露宴での入場が始まりました。一歩一歩ゆっくりと進んでいくのですが、会場が広くてなかなか 席にたどり着けませんでした。少々恥ずかしかったのですが、お客さんのウワーという歓声やざわめき、 ため息などが聞こえて結構自己満足していました。 知らない方も多数披露宴に参加していただいてましたが、当事者二人の友達も結構参加してくれていて、 自分たちを本当に祝ってくれている結婚式だなあと実感しました。というのは、親の知り合いが多くて 友人がほんの数人という結婚式を結構見てきて、新郎新婦がただの飾り物で二人共に寂しそうな 披露宴が多々あったのでした。 挨拶 お互いの来賓の挨拶や乾杯などで、合計8名ほどが食事の前にスピーチしていただきましたが(これが 長い人と短い人がいて長いスピーチには終わったときの拍手がパラパラ、スピーチが短いと 大きな拍手がわいたものでした)、その後は二人の友人が中心となって披露宴を盛り上げてくれました。 お色直しは私が1回、妻が2回でした。私が洋服、妻がドレスとチョゴリのお色直しでした。 ビールさんごめんなさい 皆さんが私達の席に来て、お祝いの言葉と共にビールをつぎに来てくれました。妻は女性ということで ビールをつがれてもグラスに口を付ける程度でよかったのですが、私はそういうわけにも行かず、 普通であれば喜んでグラスを飲み干すのですが、結婚式の準備の疲れからか、食事もあまり喉を とおらず、空きっ腹で飲むとぶっ倒れてしまいそうでしたので、係りの方にお願いしてバケツを足下に 隠していたのでした。飲食物を捨てるのは忍びなかったのですが、結婚式で酔いつぶれたりすると、 新婦にも迷惑がかかるので、やむにやまれずちょくちょくそのバケツにビールをこぼしてしのぎました。 お開き 披露宴の最後の方には二人の友人達がホールに総出で歌を歌ったり踊ったりして大いに盛り上がった 披露宴でした。その二人の友人達が2次会を設定してくれました。披露宴が滞り無く無事にお開きになり、 双方の親戚と別室に集まって紹介がてら親睦を深めるために、料理と酒が用意されておりました。 そこで約1時間ほど歓談して新婚旅行に持っていく荷物以外は親族に預けて、二人だけでその夜に 宿泊するホテルに行きました。 格好悪い新郎 余談ですが、結婚式場に私はジャージにカッターシャツにぞうり、頭はボサボサという何ともだらしのない 格好ででかけておりました。 急いでいたのとどうせ向こうで着替えるのだからとの考えでしたが、結婚式場でそのだらしのない格好を 妻のアボジに見られてしまい、「アボジこんにちは今日はよろしくお願いします」と挨拶すると、最初は 私だとは気づかなかったアボジが私のだらしない格好を見てびっくりしておりました。「先が思いやられるなあ」 とでも思われたのでしょうか。何ともマヌケな私でした。 ホテルは 結婚式・披露宴会場からは100mほどの「ホテル日航大阪」でした。2次会がすでに始まっていたので、急いで チェックインし、部屋に荷物を置いて休憩する間もなく2次会会場へ向かいました。 2次会 披露宴のお開きから既に2時間くらいたっており、2次会の参加者は皆さんいささか待ちくたびれていた ようでした。私達が入っていくと大歓声と共に熱烈に迎えていただきました。2次会では会場が貸しきりで マイクを持った私の友人が、皆さんからの質問や要望をおもしろおかしく司会してくれました。やはり 一番の関心は出会いから結婚までのいきさつ、新婚旅行、これからの新婚生活に集まっておりました。 参加者のもう一つの関心事は、お互いの友人との出会いでした。新郎の友人は男性中心、新婦の友人は 女性が中心なので、独身者にとっては格好の出会いの場でもありました。それと独身者は友人の結婚式で 「つぎは自分」という意識が高まっているので、目を皿のようにしてというよりもお酒が入っているので 血眼のように見えるのでした(失礼)。 特に在日コリアンは出会いの場が極端に少ないので、50数名も集まるこのような場は利用しない 手はありません。でも、この時の出会いによってゴールインしたカップルは残念ながらおりませんでした。 2次会でも大いに盛り上がり、普通なら楽しくて楽しくて深夜まで飲んでいたかったのですが、やはり 結婚式の夜は疲れていると言うことと、「初夜という儀式もあるから」ということで気を回してくれたか どうかまではわかりませんが、2次会は午後8時半頃にお開きになりました。 開放感と寂しさ 二人でホテルへ戻りました。ホテルの部屋で二人キリになったときに、今日は二人のためだけに大勢の人が お祝いをしてくれたのが、今からは二人キリで新婚生活をしていかなければならないんだなあ。もう誰も 二人のためだけにはかまってくれないんだなあという、何か寂しさのような突き放されたような妙な孤独感を 感じました。二人で力を合わせ助け合って生きて行くんだなあという連帯感のようなものも、この時に初めて 生まれたのを実感しました。 ディナー 二人とも披露宴でも2次会でもろくに食事をしていなかったので、二人キリになって開放感を感じると共に お腹が空いてきました。今夜は二人の結婚を二人キリでディナーでお祝いしようということになって、 ホテルのフランス料理店に行きました。 当時はフランス料理は高くてなかなか行けなかったのですが、思い切って1人2万円のフルコースを注文しました。 注文したときは午後9時、食事が終わったのが午後11時でした。店構えや店内はどうってことのない店なのに、 量もタップリ、質も文句無しに圧倒された料理でした。オードブルから始まって…、魚料理、その後にお口直しの シャーベット(これは初めての経験でした)、それから肉料理、サラダ…、と料理だけで全部で10品くらいでてきた のではないでしょうか?白ワインと赤ワインをいっちょまえに注文し、美味しく楽しく料理の量やその一品一品の おいしさに感激しながらの充実した食事でした。 そのあとにデザートとコーヒーでした。大満足のフランス料理フルコース恐るべし!やっぱり値段は高いけどね。 めくるめく初めての夜 午後11時に部屋に戻りました。記念すべき二人だけの初めての夜です。風呂もそこそこに切り上げ(本当は 私は体中こすりたおし磨きたおしていたかも)、ブランデーのグラスを片手にカーテン越しに眺める夜の 大都会大阪の中心部は、不気味なほど静寂な中にも(防音ガラス)、不夜城のような光の洪水が押し寄せ、 あやしくいんびで官能的な雰囲気をかもしだしておりました。いやがおうでも高まるムード。 そんな雰囲気のなか、振り向くと妻はベッドから幸せそうな笑顔を私の方に向けておりましたので、 グラスを置いてカーテンを閉め、部屋の明かりを消しフットライトだけにして、私ははやる気持ちを抑えつつ おもむろに妻が横たわるベッドのシーツ(掛け)をめくり、そっとからだを忍ばせたのでした。内心ドキドキ しながらもあわててぎこちなくなっても気まずいし、かといって手慣れている風でも遊び人に見えてだめだし、 さりげなくこちらからリードしなければと心がけながら妻の方に寄っていくと、そこにあったのは幸せそうな 笑顔ではなく、妻の幸せそうな寝顔だったのです。静かな寝息を立てている妻の額にお休みのキスをして、 私もそのまま疲れはててバタンキューでした。結局、めくるめく初めての夜に私がめくったのは、妻が熟睡する ベッドのシーツだけでした。初めての夜の話を期待したのは誰ですか? 続く(〜'04.03.29) |
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| 準備中のタイトル 翌朝警察からの電話 朝ご飯 伊丹空港 飛行機 ハワイ 24時間(学生時代旅行) ホノルル 市内観光 ガイド兼ドライバーのヤマモトさんは在日コリアンでした お母さんが在日コリアン サーフィン大好き 眠くって パイナップルの昼食 ウエルカムランチ マウイ カアナパリ(ビーチホテル) ディナー予約 スーツ 迷子 スーツ ステーキとロブスター シュガーケイントレインサトウキビ列車 新婚同士 オレンジジュース・サンドウイッチの注文 ホノルル レンタカー 赤いスポーツオープンカー ハナウマベイ ドールのパイナップル畑 ノースショア ハンバーガー スーパーマーケット 渋滞 ショッピング おみやげ 日本人同士 新婚サンの張り手事件 妻の実家に一緒に帰って1泊して私が先に帰り、3日程してから妻が新居に入るということで、 結婚式から待望の新居に入るまでに10日程かかりました。なんとも長い新婚旅行でした。 |
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| コリアンパワーについて |
| コリアンパワーのブライダルには、女性のお申し込みがたいへん多いです。 男性に比べて人数が1:1から2:1、ある年齢層に至っては女性:男性が3:1くらいの割合になることもあるほどです。 この為になかなかご希望のお相手にご紹介できない女性もおられ、こちらとしても何とかしたいといつも思っている次第です。 ただ、お相手がみつかるとすぐにでもご紹介しようと、準備はしておりますのでその点はご理解下さい。 |
| 上記の序章でも書いておりますように、在日コリアンの女性は親御さんから「在日コリアンと結婚するように」との教育を 幼い頃から受けております。また純潔教育(古い言葉でゴメンナサイ)も厳しく受けており気の毒なくらいにそれを実践して きました。努力もし、勉強もし仕事もしっかりして素晴らしい女性ばかりなのですが、ふっと気がつくと周りには結婚相手がいない。 お相手が限定されていますので、今までの恋愛も中途半端や避けて通ってきたがために結婚しようという時にお相手がいない、 というパターンが多いです。在日コリアンの男性諸氏!素晴らしい女性がここにたくさんおります。是非ゲットしにきてください。 女性は待っております。 |
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